越冬闘争に連帯する学生・フリーター実行委員会の越冬呼びかけ文

現在、全国の野宿者の人口は約3万人。そのうち多くの人の生活拠点は、大阪の釜ヶ崎、東京の山谷、横浜の寿といった寄せ場と呼ばれる地域に集中している。最大規模の寄せ場である釜ヶ崎がある大阪府には約1万人、京都にも約800人が暮らし、日雇労働やアルミ缶・ダンボールの回収などによって生計を立てている。

60年代の石炭から石油へのエネルギー転換や、農業政策の転換によって、多くの失業者が出た。この失業者たちは、大阪万博の施設建設や、大阪港などで必要な労働力として集められ、また自身もその日の食い扶持を得るために仕事口を求めて都市に集まっていった。それ以降釜ヶ崎は、日雇労働者街として発展し、雇用の調整弁として多くの労働者が使い捨てられ、その一方でさまざまな地域から職を求めた労働者が、寄り場を求めて集まった。

しかし、生活ができるだけの賃金が恒常的に得られるわけではなく、一日千円ほどのドヤと呼ばれる簡易宿泊所の料金さえ払えず、野宿生活を余儀なくされる人は、決して少なくはない。そして、一度路上に放り出されてしまうと、生活保護受給額以下の収入で、雨露や寒さにさらされ、襲撃におびえ、差別される日々を送らざるおえない。日本では、住所を失うと生活保護の申請は受け付けてもらえなくなり、就職も大変難しくなる。そうして、大阪市内だけでも、一年間に餓死や凍死、治療を受ければ治る病気などで200人もの人が路上死している。

行政が行う自立支援センターは、入所しても約半数が定職に就くことができず、できたとしても不安定で低賃金といった悪条件の仕事にしか就けないため、再び野宿生活に戻るケースすらある。それなのに、今年の10月には西成公園で、その自立支援センターに入所経験がある野宿労働者が生活しているテントを行政代執行ですらないかたちで破壊し、挙句の果てに自立支援センターに行けと言い捨てた。破壊されたテントの住居人が野宿生活をしているのは、自立支援センターがなんの解決にもなっていないからに他ならない。それでも、行政は野宿者を排除することを仕事とし、日雇いの仕事の減る年末年始は無責任にも窓口を閉めてしまう。

越冬闘争は、もう30年以上にもわたって、こうした冬を生き抜くために、当事者と支援者によって続けられてきた。

経済成長期には使い棄てられ。不況には見棄てられる。利潤を上げるための人件費カットに使われた非正規雇用労働者が、ここにきて次々と解雇されている。今年の冬は、大量の失業者の報道とともに到来した。

「不況だから」?だから何?それが仕事を奪い、家から追い出すための何の理由になるの?

これまで野宿生活とは無縁だった人も、貧困というかたちで寄せ場野宿生活者とつながりつつある。なかには、自分はホームレスにはなりたくない、と精一杯の人もいるかと思う。雨風をしのげない冬の路上は寒いだろうし、食べるものがなければ生きていけない。

でも、わたしたちと寄せ場の労働者たちは、そんなつながりかたしかできないのだろうか。路上で横になる人を見て、ああはなりたくないと競争に駆り立てられるしかないの?

そんな関係はもういらない。わたしたちの生活は、企業の利潤を上げるためのものではない。寄せ場は、労働者をつなぎとめるタコ部屋ではない。労働者が生きるために集う場所だ。貧困でもなく、差別でもない、そんな関係を創り出す可能性が、寄せ場での出会いにはあるかもしれない。

冬を生き抜くために続けられてきた越冬闘争は、わたしたち自身がこのイカレた社会を生き抜くための闘いにもなるだろう。生活の拠点を、貧困のない社会を、一人の路上死を出すことのない冬を生み出すために集う場所をみんなで創りたい。