・・・図表はまだアップできませんが、テキストのみとりいそぎアップいたします。以下、今回の越冬闘争のなかで配布・展示されていた釜ヶ崎キリスト教協友会資料のうち、「野宿者を取り巻く状況」を抜粋したものです。ぜひご参照ください。
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野宿者を取り巻く状況(1)

慢性的な失業状態
 1992年以降、仕事がない日雇労働者は、冬の期間だけにとどまらず年間を通して野宿生活を余儀なくされています。大阪府全域で野宿生活者の数は1万数千名(’05)を超えると推定されています。この野宿の問題には、二つの大きな原因−失業と社会保障があります。
 日雇い労働は慢性的な失業の状態と隣り合わせです。
 「あいりん労働福祉センター」での日雇い(現金)求人数は、1日あたりの平均は、好況時の1989年では5,207人だったのに対して、2000年は2,703人、2005年は2,430人といった状況が続いています。構造的な不況の影響で、建設業を中心として日雇い(現金)仕事が減っています。また、雇用者・業者が、寄せ場釜ヶ崎での求人と言った従来からのやり方を変えたこと、また建築工法の簡素化も、求人数減の大きな原因です。(7ページ、図1参照)

福祉の谷間で
 労働者の高齢化も問題です。平均年齢は、60歳に近づいていると言われています。不況に加え、高齢化はますます釜ヶ崎労働者から仕事を奪い野宿へと追いやっています。
 高齢で野宿生活者だからと言って生活保護がすぐに適用されるのかといえば、それも問題です。厚生労働省が、生活保護の適用について野宿生活者を区別してはならないという通達を出しています。しかし、区によっては生活保護申請の受け入れをきびしく制限したり、まったく受理しないといったこともあります。
 また釜ヶ崎で生活している日雇い労働者や野宿生活者に対する「福祉」に関する相談は、市立更生相談所が行うということが続いていますが、たいていの場合、労働者に対しては「法外援護」、つまり生活保護法などの法律によらない例外的な措置(自立支援センター入所など)での対応が多くみられます。

野宿者を取り巻く状況(2)

働きたいのに
 バブル景気崩壊以降、ここ数年の、釜ヶ崎での求人状況は、最盛時の3分の1に低迷し続けています。この求人状況の低迷と連動して、雇用保険日雇労働被保険者手帳所持者数は、1986年の約2万5千人から、現在は4千人台と約6分の1に激減しています。最近になって、日本経済は、やっと、好況への転換のきざしが見えて来たと言われ、釜ヶ崎での求人状況も若干増えている様ですが、55歳以上の高齢日雇い労働者の就労機会は、殆ど閉ざされたままです。この高齢日雇い労働者への就労対策として、1994年11月より、大阪府大阪市によって、高齢者特別清掃事業が実施されています。一日の仕事の紹介人数が、50人で始まったこの事業も、現在は、一日の仕事の紹介人数が191人まで拡大して来ています。しかしながら、仕事の紹介人数が増えるにつれて、この事業に登録する労働者も増えて来ており、月にして3回程しか仕事に就けない状況が続いています。西成労働福祉センターが、2004年6月7日から18日にかけて、高齢者特別清掃事業に登録している労働者に実施したアンケートによりますと、「つきに5〜6回は仕事に行きたい」という要望が多かった様です。このアンケートの結果等を踏まえるならば、高齢者特別事業の継続と拡大は、行政の当然の責務といえます。

生活保護を取り巻く状況
 長引く不況が続く中、大阪市立更生相談所や大阪市内の各区の福祉事務所では、居宅(アパート)での生活保護が、従来に較べると取り易くなっていると言えます。しかしながら、こういった状況と、労働者の生活保護に対する無知等に付け込んで、生活保護費を、不当にピンハネする団体等も、最近、増えて来ています。こういった問題に対して行政は、「それは、労働者と団体等の問題である。」と言った言い分で、状況の改善のために積極的に動こうとはしていません。居宅(アパート)での生活保護が受け易くなっている一方では、相変わらず、病院をたらい回しにされて、長期間に渡る入院生活を余儀なくされている労働者も、相変わらず、多く見受けられます。経費の面から考えても、あるいは、自立助長と言う観点から考えても、長期間に渡って病院をたらい回しにされていると言う状況は、早急に改善されるべきですが、ピンハネ団体の問題と同様に、行政は黙認を続けています。また、生活保護の制度も徐々に改変され、老齢加算金や市営交通の半額乗車券の廃止、水道料金の減免措置廃止など、生活保護の実質的な切り下げが起こっています。

野宿者を取り巻く状況(3)

長期化する失業
 かつては越冬期だけだった右の図のような活動も、労働者の高齢化や大失業時代の今は残念ながら日常化してしまいました。
 失業は、結果として野宿せざるを得ない労働者を生み出し、そして労働者の生活のあらゆる面を破壊します。残念ながら困窮した時の生活保護(入院、入寮、居宅保護)などの制度利用も簡単にできない仕組みになっています。

「仕事をして飯を食いたい」
 言うまでもなく釜ヶ崎では、仕事が労働者にとって最も重要なことです。だからこそ、NPO釜ヶ崎支援機構が大阪府・市から委託されている「高齢者特別清掃事業」や「センター周辺環境整備事業」(55歳以上対象)といった活動は、仕事保障の一環です。(一人月2〜3回就労)
 もちろん仕事があって就労ができれば問題はありません。しかし釜ヶ崎に仕事が戻ってくる気配はありません。特に高齢、病弱、「障がい」のある労働者が就労機会を奪われています。
 ここ5年ほど前からは、大阪府・市が市内に何ヶ所か「公園仮設一時避難所」や「自立支援センター」を設置し、巡回相談などで入所を呼びかけて、就職活動を応援する施策をはじめました。2007年は「ホームレスの自立支援とうに関する特別措置法」に基づく施策の見直しの時期になり、就労支援の施策の中身が問われることになります。

「野宿をせざるをえない労働者」と夜まわり
 また、失業は労働者の生命をも脅かします。特に冬期です。その労働者の生命と生活を守る闘いの一つとして夜まわり活動があります。また釜ヶ崎では木曜夜まわりの会(木)暁光会(火)、野宿者ネットワーク(土)が年間を通し夜まわりを続けています。

野宿から生活保障へ
 日常的な生活医療相談や夜まわりでの出会いから、生活保障の闘いが始まります。生活保護(入院、入寮、居宅保護)申請のため「大阪市立更生相談所」や「各区保健福祉センター」に付き添います。
 生活保護を受けたあとも病院あるいは寮やアパートに労働者を訪問し、生活保障へとつながるための支援をします。



野宿者を取り巻く状況(4)
野宿生活者への襲撃−

 主に中・高校生から20歳前後の青少年による野宿者襲撃は残念ながら全国で増え続けており、その結果として年に数人の野宿者が殺され続けています。釜ヶ崎周辺では、襲撃はとくに日本橋で多く起きており、以前からの襲撃の内容をみると、
 通行中の段ボールの蹴り、火のついたたばこの投げこみ、空き缶の投げこみ。
 自転車を用いた木刀・鉄パイプ襲撃、ロケット花火の発射、煙幕玉の投げこみ、消火器の噴射、生卵の投げこみなど。
 車両を用いたものでは花火・エアガン(金属製の弾も用いられている)による襲撃が多く、車から降りてきて木刀で殴られた労働者もいる。
 集団で殴る蹴るのあげく内臓破裂で殺す、ガソリン類を野宿者の全身にかけて放火するなど、きわめて残虐な事件もたびたび起きる。
という具合です。こうした襲撃は日本橋でんでんタウンだけで3日に1度の頻度で起こっており、しかも夏休みなど学校の長期休みに多発しています。
 襲撃を行った少年たちの証言を見ると、彼らは「ホームレスは臭くて汚く社会の役にたたない存在」「みんなで殴ることで日頃の憂さをはらしたかった」などと語っています。こうした発想は、一般市民の野宿者への偏見・差別を反映しているのでしょう。襲撃する少年たち(襲撃には大人も少女もいますが)が抱えているだろう「襲撃によるストレスの発散」「他者への攻撃による自己の存在確認」といった内面的問題ももちろん重大ですが、何よりも一般に浸透している野宿者への偏見・差別を解消しなければ襲撃を阻止することはできません。
 襲撃に対する取り組みとしては、生活保護や就労対策によって野宿をしなくてもよい社会状況を作ること、そして、野宿者襲撃は「若者と野宿者の最悪の出会い」とも言えますが、それに対して、野宿問題を広く啓発し、若者やこどもたち、おとなたちが理解と共感をもって野宿者と出会い交流するという、新しい関係づくりが必要とされています。「夜まわり」は野宿者とのそうした出会いの一つなのです。



西成区の行路死亡人を追って(表1)
2007年12月〜2008年11月まで

※行路死亡人とは、身元不明かつ救急搬送後24時間以内に亡くなった方々で、24時間を経過してから亡くなったり、身元が判明した方々は含まれません。


大阪市全体の行路死亡人(表2)
区別・年度別件数

※2007年の西成愛燐会主催のあいりん地区物故者慰霊祭の慰霊数は126柱で、救急搬送後の時間経過、身元判明の有無に関係なく、釜ヶ崎のドヤや路上で亡くなり、引き取り手の無かった方々で、西成区行路死亡人のおよそ5〜15倍になります。


野宿者を取り巻く状況(5)

強制排除と住民票削除
 2006年1月30日の靭・大阪城公園に続き、大阪市は、2007年2月5日に長居公園で野宿している労働者のテントを「公園整備工事」を理由として、行政代執行法に基づき強制撤去。大阪城・靭公園の強制撤去では「世界バラ博」、2007年は「世界陸上」に伴う公園整備がその名目になっています。また、国際的なイベントのある大きな公園だけでなく、小さな公園や、道路沿いのテントの排除も、数多く行なわれています。こうして、ゆっくりと休むこともできない路上へと、生活の場を移さざるを得ない人たちがたくさんいます。
 2007年3月29日には、ドヤに住んだり、飯場を転々とする都合から住所を置くことができない人たちのために、住所を置ける場所として提供してきた釜ヶ崎解放会館など3施設に登録された日雇労働者の住所が違法であるとして、2088人の住所を大阪市は削除しました。住民票の削除は、選挙権などの公民権だけでなく、資格の取得や維持も不可能になり、就労・生活の維持に大きな支障をきたします。

大阪市の野宿者対策
 公園や路上からの野宿者追い出しの動きと並行して、現在大阪市が進めている野宿者対策の中核的事業が「自立支援センター」事業です。
野宿を余儀なくされている労働者の就労自立を目的とて始まったこの事業も、今年で7年目に入ります。自立支援センター大淀・淀川・舞洲の資料による2006年度の実績は、3自立支援センター退所者の合計は427人で、内135人が就労自立とされており、全退所者の31.6%ですが、その実態は、清掃や警備の仕事など、常雇いとはいっても半年や1年と期限を決められていたり、パートやアルバイト並みの時間給や日給月給での雇用が大部分で、安定した就労となりえずに再野宿を余儀なくされる人も多数に上ります。
 このような自立支援センターの現状では、公園や路上からの強制排除を繰り返し行っても野宿問題が根本的に解決していく事はあり得ません。大阪市のあまりにも不十分な対策は、結果的により過酷な状況へ野宿生活者を追い立てていると言えます。

派遣労働者−形を変えた搾取の対象
 そうした、いままであった釜ヶ崎大阪市の労働、野宿問題に有効な解決が見出せないなか、2008年9月のアメリカの金融危機に端を発した世界的な不況は、形を変えた日雇労働者というべき派遣労働者と呼ばれる人たちに深刻なダメージを与えています。
 日雇労働者も昔はそうでしたが、企業で働く社員たちより過酷な労働環境に置かれながら、労働者たちがお互いに助け合う、権利を守るための集まりである労働組合からも無視された存在でした。そこで、派遣労働者の組合を作ったり、不当な解雇や、賃金の搾取と闘ってきました。
 しかし、数万人が解雇されるというこの冬、いままで目に見えてこなかった、労働と社会保障の問題が可視化しようとしており、20代から30代の健康で若い人たちが家や仕事を失い、こうも簡単に路上生活に陥ってしまうような社会は、やはりおかしいと言わざるを得ません。
 行政は、こうした人たちへの当面の緊急的な対策はもとより、一体どのようにして安定した生活基盤を取り戻すか、長期的なビジョンを立てなければ、本質的な問題の解決には至りません。
 以前は釜ヶ崎など寄せ場と呼ばれる街特有の問題が、全国化しようとしているいま、行政はもとより私たちも含め、みんなが健康に希望を持って生活を送れる社会を作るにはどうしたらいいのか、真剣に考えなければならない時がきています。