<中間報告>派遣を切られ寮から追い出された人との出会い・南港臨時宿泊雑感

越冬実の一員より中間報告を送ります。

今年の今日までの活動を通じて私が思ったことを書きます。

書く前にひとつ、参加希望など各種お問い合わせは09042830810(学生・フリーター越冬実)までお願いします。

さて、標題にもしましたが、派遣を切られ寮から追い出された方と話す機会が今朝ありました。
とある地方都市にて製造業に従事していたそうです。
それが今月頭に解雇され、代わりに入る若い人が来たのですぐに寮から追い立てられ、駅前で飲まず食わずで2週間ほどアオカン(身1つで路上やベンチに直接寝ること。露宿ともいうがアオカンの方が日常的に使われる)していたら派遣会社の人が大阪に行ったら仕事があるかもよと言われ大阪に来て、まだ何日も立ってないとのことでした。

昨日夜回りに始めて参加して、川沿いでアオカンする人の多さに驚き不景気を感じ、寒波が来ているにもかかわらず(荷物になるから)毛布を断る人が多いのに驚き心配になったと言っていました。

似たような境遇の人に会ったという「支援」(釜パトや学生越冬実等非野宿者で野宿界隈の活動に関わるものを指すのに使われる言葉)から話を聞くことや、新聞記事を見ることはありましたが、自分が実際に会うと改めて体に重く静かに響くような、事態を受け止め直させるような感覚がありました。


次に南港臨時宿泊の監視行動ですが、アンケートを入所しようという人たちにとったのですが(アンケートは日雇労組やキリスト教協友会などの合同だった)、自分がとった人たちでは大まかに言ってシェルターとアオカンが半々で口々に仕事がないんやと言ってました。
聞き取りを行った仲間も同様だと言ってました。
他にも内容の縮小(みかんと煙草の支給の廃止、風呂場・洗濯場の縮小など)に対する不満が多く聞かれました。

そもそも市がシェルターを年末年始に閉めて泊まっている人を南港に行かせるということがナンセンス極まりなく、そして仕事のなさと収入のなさには改めて暗い気持ちになります。
もちろんシェルターやアオカンや釜のドヤにいる働く仲間たちはそれぞれ情報交換を行い、強く生きて行くし、情報を交換する仲間たちとのつながりはそれ自体よいものとしてあり、生活保護を受けてもかつての仲間から遠く離れ寂しくて心身の調子を崩すことだってあるのですが、それでも金銭がないことによる困難も必然的に発生しますし(栄養不良とか体調不良の時とか、あと住所がないと行政サービスを受けられない)個人には冷たく、その割に妙なところに金を流す(毎年の南港臨時宿泊所のプレハブ設置解体とか)日本の福祉行政のおかしさを考えざるを得ません。

なおテント村の強権的解体は、「経済の貧困」か「関係の貧困」のうちどちらか片方を選べと暴力的に当事者に問うことであり、またそのようなときにしか福祉を出さないことがおかしく、またそこがあれば情報や人とのつながりを得られるまだ見ぬ仲間との出会いの可能性を潰し、引いては路上死をさせられる仲間を増やすことになるだろうと思います。

私は、こんな世の中で畳の上に戻りたくない、テントで仲間と暮らしながら路上で自活して行くと本人がいうならそれはそれでいいのではないかと思っています。

さて、今回の夜回りでは橋下府知事に対する文句をたくさん聞きました。
既にある強者による生者の選別とそれを支える親ファシズム層にどう抗したら良いのでしょう。
無論万が一、国内での社民的改良政策がなったところでグローバルに見れば南北問題や、南の内部の階級矛盾がなくなるわけでもありません。
多くの日本の生活者を支える安い食料の大量流入は国内外の農村に於ける矛盾を拡大深化させている面を大きく含むものだということも忘れてはならないでしょう。
日は暮れて道はなお遠いです。

もうすぐ新年だそうです。
ファシズムの年よさようなら、こんにちは大恐慌とさらなるファッショの年。