1月2日・名古屋から・名古屋越冬闘争

全国各地で越年・越冬のたたかいがつづくなか、名古屋での取り組みに参加した仲間から報告が。

自動車の工場なども多く、「派遣切り」による被害者も多い名古屋での越冬の取り組み。1月1日の深夜に名古屋駅ちかくの西柳公園(通称・オケラ公園)に到着。公園の入り口には横断幕で越冬のスローガンが踊り、小さな敷地のなかに宿泊用テントがところ狭しと並ぶ。テントの中の宿泊用スペースはもういっぱいのようで、テントの外にも毛布をかぶって寝ている人々があふれています。公園の真ん中には周囲に砂を盛った大きな焚き火があり、そのまわりを労働者たちが寝ずの番で囲んでいます。ぼくも公園のすみっこでダンボールを敷いて寝ていたのですが、あんまり寒いので焚き火の前に移動して寝ていたら、番をしていた労働者のひとりに「風邪ひくぞ」といって毛布をかけていただきました。ありがたかった。。テントには、労組員が沢山殺されたり、でっち上げで逮捕されたりと激しい攻撃を受けているフィリピン・トヨタ労組からの連帯メッセージや、越冬期間中に亡くなり皆の人気者だったという野宿労働者のことを書いたメッセージなどが張ってある。
朝、寝不足のなかうとうとしながら火に当たったり、炊き出しを食べたりしたのち、名古屋市の越年対策である、船見寮という無料宿泊施設のほうへ、越冬実による激励の交流会へ。船見寮というのは、20年以上前に、座り込み闘争によって逮捕者を出しながらも市の越年対策として、行政から勝ち取ったものだという。海沿いの、強く冷たい風が吹く中、ブルーシートをひろげ、衣料放出と前日にオケラ公園でついたもちをふるまう。400人くらいの入所者のうち、半分近い200人ほどの人々が建物から出てくる。私と同じくらいの若い人の姿も目立った。(つづく)
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