行政が「派遣村」をやるとこうなる。


リンパクに止まるには釜の市厚相(市立厚生相談所)で29、30日に受付をしなければならない。



市厚相の横の幼稚園だかの小さな敷地が借りられ、先輩たちの待機所になる。たかいたかい壁が四方に設置されている。まさに分離壁といえるであろう。



リンパクは南港でも長い長いかもめ大橋を渡った一番先にある孤島である。コンビニもなんにもない。人が暮らす場所ではない。高い鉄板の壁で囲われ出入りが完全に管理される。19時の門限を過ぎると完全に出入りできなくなる。所内は体育会の学生がうじゃうじゃいて管理にあたっている。心底に隔離収容主義である。それに抗する取り組みが求められてる。

喜びと不安の声=日比谷公園「派遣村」

喜びと不安の声=日比谷公園「派遣村」 | IBTimes : 一般 - 国際、政治、社会関連の最新ニュース

「声が国に届いた」「月曜以降はどこで…」−。厚生労働省が2日、日比谷公園(東京都千代田区)の「年越し派遣村」に集まった元派遣社員らに講堂を開放したことに、派遣村の人たちからは喜びと不安の声が漏れた。

 同日午後8時前、「年越し派遣村」の湯浅誠村長が増え続ける宿泊希望者に対し、徒歩で5分ほど離れた同省講堂の開放決定を伝えた。

 「やったー」。肌寒く、時折冷たい風が吹く公園内には、拍手も響く。湯浅村長は「あす以降は宿泊希望者はもっと増え、限界に来る。政府は開村から3日目にようやく講堂を開放した」と対応の遅れを批判。一方で「皆さんの声が国に届いた。歓迎したい」と話した。

 しかし、講堂の使用期間は、同省が業務を開始する5日月曜日の午前9時がタイムリミットに。
 厚労省2階にある講堂に入った男性(53)は「先月6日に派遣の契約を切られた。派遣村に着いた時の所持金はたった3円だった」。約3週間、公園で過ごしてきたという男性は「月曜以降は、生活保護を申請し、日雇いの仕事を探すが、一体どうなるか…」と不安を述べた。

 また、元不動産業の男性(59)は「最初から開放すればいいのに。行き当たりばったりだ」とした上で「昨夜は派遣村のテントで寝たが、土を通して寒さが身に染みた。講堂は暖房が利いていて暖かい」とやや満足そうな笑みを浮かべた。講堂には、布団などの荷物を持った派遣村の人たちが続々詰め掛け、ほぼいっぱいの状態。派遣村の担当者が「布団は体のサイズに合わせ、なるべく詰めて敷いて」「省内は禁煙ですのでご協力を」などとスピーカーで呼び掛けていた。  (了)湯浅誠(ゆあさ・まこと) [時事通信社

参考:年越し派遣村はピクニックである - NOW HERE

東京から・日比谷派遣村

東京のほうの取り組みにも、学生・フリーター実の仲間が参加しています。「派遣切り」を受けて今年急遽始まった「年越し派遣村」をめぐっては、厚労省の講堂を宿泊所として勝ち取るなど、激動の事態を迎えていて、今後とも要注目。詳しい報告はまた後ほど、とのことです。またこのブログに報告が載るでしょう。

1月2日・名古屋から・名古屋越冬闘争

全国各地で越年・越冬のたたかいがつづくなか、名古屋での取り組みに参加した仲間から報告が。

自動車の工場なども多く、「派遣切り」による被害者も多い名古屋での越冬の取り組み。1月1日の深夜に名古屋駅ちかくの西柳公園(通称・オケラ公園)に到着。公園の入り口には横断幕で越冬のスローガンが踊り、小さな敷地のなかに宿泊用テントがところ狭しと並ぶ。テントの中の宿泊用スペースはもういっぱいのようで、テントの外にも毛布をかぶって寝ている人々があふれています。公園の真ん中には周囲に砂を盛った大きな焚き火があり、そのまわりを労働者たちが寝ずの番で囲んでいます。ぼくも公園のすみっこでダンボールを敷いて寝ていたのですが、あんまり寒いので焚き火の前に移動して寝ていたら、番をしていた労働者のひとりに「風邪ひくぞ」といって毛布をかけていただきました。ありがたかった。。テントには、労組員が沢山殺されたり、でっち上げで逮捕されたりと激しい攻撃を受けているフィリピン・トヨタ労組からの連帯メッセージや、越冬期間中に亡くなり皆の人気者だったという野宿労働者のことを書いたメッセージなどが張ってある。
朝、寝不足のなかうとうとしながら火に当たったり、炊き出しを食べたりしたのち、名古屋市の越年対策である、船見寮という無料宿泊施設のほうへ、越冬実による激励の交流会へ。船見寮というのは、20年以上前に、座り込み闘争によって逮捕者を出しながらも市の越年対策として、行政から勝ち取ったものだという。海沿いの、強く冷たい風が吹く中、ブルーシートをひろげ、衣料放出と前日にオケラ公園でついたもちをふるまう。400人くらいの入所者のうち、半分近い200人ほどの人々が建物から出てくる。私と同じくらいの若い人の姿も目立った。(つづく)
ノリパンホームページ

「あけましてなんとか!」1月1日・西成公園もちつき大会&のどじまん大会・報告

釜ヶ崎のとなりにある鶴見橋商店街の、長い長いアーケードをくぐって歩くと、その突き当たりに西成公園はある。JR新今宮の駅からだと、20分から30分くらい。越冬闘争で毎年恒例になっている、西成公園もちつき&のどじまん大会に参加してきた。朝8時過ぎくらいに到着してしばらくすると、釜ヶ崎大阪市内の各公園などから人々が集まってきて、薪を割ったり、もち米を蒸し始めたり。もちつきが始まると、公園の住人も続々と集まってくる。新年ということで、お酒もふるまわれ宴はたけなわ、尺八を吹き始める人もいる。指名制で次々にまわってくるマイクにどきどきしながら、即興の伴奏つきでカラオケ大会が始まった。もちはやっぱり大根と醤油だね。

西成公園は、うつぼが潰され、長居も潰されたいま、現在野宿者のテント村が残っている数少ない公園のうちのひとつだ。現在も、日々テントの排除が続いている。西成公園の東側の入り口を入ると、そこには驚くべき、異常な光景が広がっている。公園の中へと続く道の両側に、有刺鉄線つきの網のフェンスが張られているのだ。フェンスの向こう側を見ると、中には芝生が広がっており、休憩所があり、遊具が並んでいる。いたって普通の公園だ。いばらのような棘のあるフェンスがあることを除いては。フェンスの中には公園事務所が握っている鍵がなければ、足を踏み入れることもできない。これは、大阪市が公園内にテントを張ることができないようにするために設置したもので、生活上の拠点確保、あるいは寒さや雨露をしのぐためにテントを張る野宿者と「市民社会」とを分つための、端的にいって「分離壁」、アパルトヘイト・ウォールなのだ。公園内に4年前に初めて西成公園に足を運んで、この光景を目の当たりにしたときは、最初ちょっと信じられない思いだった。これが「公園」というものか?向こう側の排除の論理が、行政と野宿者の間の軋轢がこれだけわかりやすく、物理的に目に見える形で現れているところもない。強制排除の波状攻撃は、ここ数年毎年のように行われた大阪市による寒空の下の大規模なテント村破壊という形ではあらわれていないものの、今でも、ずっと続いている。
参考:近況報告
公園職員の法的根拠にすらよらない暴力的な小屋破壊は今までも行われてきたし、代執行による排除とセットにした常套手段とでも言っていいような状況にある。今年の秋も、西成公園において、中で生活している人のいる一軒の小屋がフェンスで囲まれて破壊された。西成公園のテントも、有形無形の圧力をかけられて潰されつづけ、私が最初に来た4年ほど前と比べても、だいぶ減ってしまった(それでも今でも200軒以上の小屋がある)。小屋が潰された後には、工事用のフェンスが隙間のないようにギッチリと張られてしまう。そして、誰も使うことのできないデッドスペースが確実に増えていく。西成公園には大きなシェルターがひとつあったのだが、劣悪な条件の中、シェルターに入る希望者が減り続けた結果、閉鎖した。その跡地も広大な空き地になっており、草がぼうぼうの生え放題になっている。工事用のフェンスで囲ってしまうことによって、テントがあるのが「異常」な状況であるとして行政はプロパガンダの手をゆるめず、生活の陣地を毎日のように削られていきながら、その中で生活を続け、生きていかねばならない西成公園の住人たちがいる。ここ数年でも、大阪市内の各所の強制排除を経て西成公園に流れついて生活を始めた方も沢山いる。
年末から続くイスラエル軍によるパレスチナガザ地区空爆が続き、大規模な虐殺が続いているが、パレスチナで行われてきたことと、ここ西成公園で行われていることを重ねずにはいられなかった。イスラエル人入植者によって土地を徐々に奪われ、生活する場所を包囲されなすすべがないまま狭められていき、殺されていくパレスチナの人々。空爆や砲撃だけが殺人なのではない。人々の黙殺や差別に囲まれたなか、寒さや襲撃などから身を守り、生活拠点を確保するためのすべとしての小屋やコミュニティを解体されていくということは、その人が生きていけるかどうかの問題であり、奪われていくのは人の命なのだ。
http://0000000000.net/p-navi/info/
焚き火を囲んで公園の住人に話を聞いていたのだけれど、西成公園のあったあたりというのは、かつて厳しい労働を強いられていた女工さんたちの働く紡績工場だったのだそうだ。その幽霊が出るとか出ないとかいったことがうわさされていた。公園内で首をつって亡くなっていった人の話も聞いた。
予断の許さない状況がつづく西成公園に今年も注目をおねがいします。私たちも、排除に抵抗する動きに呼応して、動いていきたいと考えています。とにかく一人の人でも声をあげていく人が必要です。行動があるときはまたお知らせしていただきたいです。テント破壊と排除、国の殺人行政に抗議の声を!

SHINGO☆西成 LIVE!!!!@扇町公園


「いまにみとけよ」SHINGO☆西成 LIVE@扇町公園・大阪キタ越冬闘争テント村

1月4日16:30〜扇町公園・大阪キタ越冬闘争テント村にて

問合せ:08年→09年越冬闘争に連帯する学生・フリーター実行委員会090−4283−0810

主催:大阪キタ越冬闘争実行委員会

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この前の西成釜崎の三角公園での夏祭りでの事…
今の気持ち、夏祭りの感想などを、書道してみよう…
墨で、筆で書いてみようという試みを、
詩人であり、地元の皆が集うCOCOROOM(ココルーム)代表の上田さんらが企画した…
その中で、地元の宝、地元の子供達が何も言ってないのに…俺の名前を書いてくれた…
写真カシャッ…感動した…
ライヴではファーストアルバムの曲「諸先輩方からのお言葉」を合唱してくれた…
この宝、この子供達の気持ちも歌にして、
子供達が聴いても、うなずいてくれる曲をもっと作ろうと思う…
CLUBシーンのみんなも、悪いRAPを期待してるみんなにも
納得してもらう曲も作ろうと思う…
ちなみに、正月1月2日夜6時40分頃から、
日本で唯一暴動起こる街、俺の地元、
ここ三角公園の第39回越冬斗争で、ライヴするラパッ…

SHINGO☆西成 インタビュー
http://www.bounce.com/interview/article.php/3374